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Because I am a Girl大使ウルミラさんが語る地震発生時の様子 ~ネパール~

ネパール

緊急支援

更新)

ネパールで家事労働を強いられている女の子「カムラリ」を支援し、Because I am a Girl大使を務めるウルミラ・チャダリーさん(23歳)は、カトマンズ市内のホテルで2015年4月25日に発生した大地震を体験しました。ウルミラさんは、地震発生当時の状況を以下のように語りました。

ウルミラさんのコメント

ホテルが突然揺れ始めたので、最初は喧嘩が始まったのだと思いました。ところが、様子を見るために部屋から出ても建物は大きく揺れ続けていました。ようやく揺れがおさまったところで、友だちと一緒に屋外に出ました。群集をかき分けて街を歩いていくなか、自分の目に入ってくる光景に圧倒されてしまいました。街中の建物は倒壊していたうえに、大勢の人々が怪我をしていたり、あるいは遺体として横たわっていたのです。体中に切り傷を負いながら歩いている人たちが大勢歩いていました。

余震が続いていたため、友だちと私は安全な地域のホテルにまで移動することにしました。多くの人が避難しに集まってきました。家を失った人たち、家族を失った人たちが何人もいました。なかには数日前に生まれたばかりで裸のままの赤ちゃんや、生理が始まったのに生理用品が手に入らずに困っている若い女の子もいました。トイレもお風呂もありませんでした。プライバシーはまったくありませんでした。

ウルミラ・チャダリーさん

ウルミラ・チャダリーさん

私の実家は10時間ほど離れたところにありました。家族の安否を確認しようと切羽詰っていましたが、携帯電話はつながらず心配だけが募りました。

地震が起こった日の夜は寒くてこごえるようでした。次の日に、知り合いが管理している場所に移ることができました。そこにはトイレがあってほっとしました。35人がひしめきあっていましたが、前日よりは良い環境でしたが、夜は余震に対する恐怖感のせいで眠ることができませんでした。さらに、雨が降り始めて、身体の芯から冷え切ってしまいました。電気もない暗闇のなか、こごえるような寒さのなかで過ごしました。私の周りに若い女の子たちがいるのに気づきました。彼らは、見知らぬ人たちの間で眠らなければならないことに不安を隠せない様子でした。

3日後に、私は自分が住むダン郡に戻ることに決め、家族ともようやく連絡が取れました。実家のある地域はそれほど大きな震度ではなかったようで、みんな無事でした。本当にほっとして胸をなでおろしました。道路事情はひどく、通常10時間ですむ道のりが22時間もかかりました。カトマンズから脱出しようとしていた人たちを乗せたバスの列が渋滞を起こしていたのです。食べ物の値段は急上昇し、一本の水のボトルが普段の4倍の値段に跳ね上がっていました。

カムラリとして働かされている女の子たちのなかにも怪我を負った人たちがいます。彼女たちの大半は、何日も屋外で夜を過ごしながら実家に戻っています。今回の大地震で被災した多くの女の子たちのことがとても気がかりです。私もショックのために眠ることができずにいます。目をつぶると、泣き叫ぶ人々の声や遺体など震災直後の光景がはっきりと浮かび上がります。

11学年の修了試験を受けるために学校に戻りたいのですが、政府は一週間学校を閉鎖しています。学校再開を待ちながら自習をして過ごそうとしていますが、勉強に集中しようと思っても、震災の記憶がよみがえってきてしまいます。他の人たちもみな同じではないかと思います。

私はこの震災を乗り越えるために、若い女の子たちを支援しようと決意しました。彼らは傷を負い、住む家をなくしました。恐ろしい現実を生き延びた人たちです。今後も多くの困難に直面することが予想されますが、私は自分にできることをして彼らを支えていきたいと思います。

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