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バングラデシュ人質テロ事件から1カ月
事務局長
佐藤 活朗
事務局より
(更新)
2016年7月1日、プランが長年にわたり活動してきたバングラデシュのダッカで恐ろしい事件が起きました。同国支援に従事していた日本人を含む多くの人命が失われました。亡くなった方々に深い哀悼の意を表します。
バングラデシュとの出合い
私が開発援助の仕事につき、最初の数年間に担当したのが、独立して間もないバングラデシュでした。1971年12月にパキスタンから独立したものの、当時は膨大な貧困人口を抱え、主だった産業もないこの国の将来を悲観する開発専門家は少なくありませんでした。しかし私自身は、仕事で接するバングラデシュの人々に共通する、まじめで温和な国民性に共感し、希望を感じていました。
ダッカ市内
ダッカ中央の工場へ通勤する人々
独立後のバングラデシュは、日本をはじめ外国からの支援を受けて政策の改善や制度作りをすすめ、乳児死亡率やインフラなど多くの分野で着実に進歩しました。貧困層向けのマイクロ・ファイナンス*や農村開発の手法など、バングラデシュで試みられ成功した開発モデルは、その後他の途上国にも移転され効果をあげています。
プランの職業訓練を受け起業した若者
小学校の修了証を持つ女の子
事件から垣間見えたバングラデシュの人々の思い
バングラデシュの担当を離れた後も、各種のプロジェクトの管理や調査などで同国を訪れるたびに、少しずつ人々の表情が明るく元気になり、国土の整備が進んでいることを肌で感じました。最近では製造業などで世界の有力企業が進出し、多くの雇用が生まれて活力が出てきました。課題はまだ多くありますが、当初の悲観論はやはり外れていました。
独立以降の発展に国民が正当な自信を持ち、さらに前向きに取り組もうという矢先に今回の事件は起きました。事件後、現場近くで花束を捧げたり、メッセージを残したりする多くの市民の姿が伝えられました。メッセージには「私たちを許してください」といった、自分ごとととらえるものが多くありました。こうした言葉に、穏健で相手を慮るバングラデシュの人々を思い出し痛切な思いがするとともに、国として成熟してきたことを感じ、悲惨な事件のなかで、ひとつの救いとして心に残りました。
プランが支援する眼科研修コースに参加する女の子
学校に設置された給水器
プランの活動
プランは、1994年からバングラデシュで活動し、子どもの権利と保護、質の高い教育を受けられるよう支援しています。また、子どもたちを取り巻く衛生的な環境を整え、支援から取り残されている女の子たちへの支援に努めています。これまでの活動で、十分な能力をつけプランの活動から卒業したコミュニティもでてきています。プランは引き続き、まだ支援を必要とされる、子どもたち、若者たちの保護と教育、経済力の強化に取り組んでいきます。
今回の事件に、バングラデシュのプラン職員からも、一国民としての悔しさとお詫びの言葉とともに、日本からの支援への感謝を伝えるメッセージが届きました。プランは深い悲しみを共有したバングラデシュの人々といっそう強く手を携え、未来のバングラデシュの担い手となる子どもたちを応援していきます。
橋のない川を渡って通学する女の子たち
寄宿舎のある安全な学校で学ぶ女子生徒たち
*マイクロ・ファイナンス(クレジット)とは:1980年代初めに当時大学教授だったモハメド・ユヌス氏が中心となってバングラデシュで初めて試み成功し、その後「グラミン銀行」として発展。現在では貧困解消の有力なツールとして世界中に広がり、プランも多くの国で支援している。ユヌス氏は2006年ノーベル平和賞を受賞。
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