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スーダン危機~国統括事務所長が語る緊迫の退避~

スーダン 国統括事務所長
ムワペ・ムルンビ

スーダン 国統括事務所長 ムワペ・ムルンビ

アフリカ・中東

更新)

スーダンのプラン・インターナショナル国統括事務所長ムワペ・ムルンビです。2023年4月15日に首都ハルツームにおいて発生した武力衝突から逃れるため、8日間をかけて1000キロの道のりを陸路で移動しました。スーダンに残っているスタッフの安全確保や物資支給の調整にも尽力しつつ退避した体験をお伝えします。

民間人をも巻き込む過激な暴力行為

スーダンで武力衝突が発生したのは4月15日ですが、その兆しはかなり前から見えており、この3~4カ月間で事態は急展開しました。そのため、衝突が起きたこと自体にはそれほどの驚きはありませんでしたが、民間人をも巻き込む過激な暴力が突然発生したことに、スーダンの人々は大きな衝撃を受けました。

写真:避難する人々

避難する人々

ハルツームは人口約600万人の人口密度の高い都市です。重砲を使った広範囲にわたる戦闘は、住民全体を巻き込み悲惨な結果をもたらしました。プランの事務所がある地域も完全に破壊されてしまいました。

混乱のなか事業継続計画(BCP)を実行

戦闘が始まる1週間前、私は最初の発砲があったハルツーム北部のメロエにいました。そのとき車列を目にした私は軍隊が動員されていると理解し、即刻プランの事務所における事業継続計画を実行に移しました。

私たちは、さまざまな事態を想定し複数の対応策を練り上げると同時に、重要な書類をスキャンし、プランが持つ車両を安全な場所に移動させ、スタッフへの給料を前倒しで支払いました。戦闘が始まる前にスタッフが資金を引き出せるのは1日だけでしたが、幸いにもほとんどのスタッフが、銀行が閉鎖する前に現金を手にすることができました。

2021年以降、プランの事務所では越冬用の物資を貯蔵していたので、室内に閉じ込められ長期間まったく動けない状況下でも、食料と水には困りませんでした。そのおかげで、必需品が瞬く間に品薄になっていくなかでも、食料や水の心配をすることなく、組織内の調整や電話対応に集中することができました。

通信手段の確保には困難を極めました。携帯電話でのインターネット通信は完全に遮断されいまだに復旧していません。スタッフと連絡を取り合うのも一苦労で、ごくわずかな人を除いて完全にオフラインの状態でした。私の住まいではインターネットへのアクセスが可能だったため、メールを送ったり、オンラインミーティングに参加したりすることができました。そのおかげで、外部とのコミュニケーションを維持できたことはせめてもの救いでした。

戦闘が激化する街に取り残されたスタッフを救出

外国籍の援助関係者に対する攻撃の危険性が高まった紛争発生1週目から、プランの外国籍スタッフの避難計画を立てはじめました。プランのスタッフの95%はスーダン人で、スーダン出身者の割合は他のNGOよりもはるかに高い状況です。しかしながら、ザンビア出身の私を含めた何人かのスタッフは、他国への避難を試みる必要がありました。

紛争当初から、空港は激しい戦闘の舞台となり、大きな被害を受けていました。ハルツームから飛行機で脱出することは不可能なため、陸路で避難する選択肢しか残されていませんでした。

私の住む地域は、スーダン軍と戦う即応支援部隊(RSF)に占拠されていたため、紛争が始まってからの最初の1週間は非常に厳しい状況に置かれてしまいました。街は完全な指揮下に置かれ、恐ろしい銃声が鳴り響いていました。

戦闘の激化により、外国籍のスタッフ1名の救出が非常に難しくなりました。そのスタッフが住むハルツームの自宅まで救出チームが何度か近づいたものの、飛び交う爆弾やロケット弾のため後退せざるを得ませんでした。街中で起きている戦闘により、私たちは希望を失い始め、このスタッフを救出できる望みを失いかけていました。

しかしながら、決死の努力を続け、最終的には彼を助け出すことができました。その後は、国連と連携して自分たちの避難計画の調整に入りました。

苛酷な旅路

戦闘が小康状態となったタイミングを見計らって、国連職員とその家族の他500人近い国際NGO職員と家族など総勢約1500人の人々が、100台以上の車両に分乗して出発。多くの組織がバスを手配していましたが、私たちはプランが所有する車両を使い、東部のポートスーダンまで1000キロの道のりを移動し始めました。緊迫感に満ちた道中、車が停車したのは燃料補給と砂漠でのトイレ休憩のみでした。

移動中は常に恐怖感を伴っていました。即応支援部隊(RSF)に占拠され、激しい戦闘が続く街のなかを最高速度で通り抜けました。ハルツームの郊外に辿り着くと、街に向かう反対車線を走る車はまったくなく、周囲が静寂に満ちた不思議な光景が広がっていました。

スーダンは国土の大部分が砂漠で木陰がないため、猛暑のなかの移動は厳しいものになりました。車列には持病のある人、子どもや妊婦もおり、大変辛い思いをしながらの移動となりました。ポートスーダンまでは当初12時間ほどと予測していましたが、実際には35~40時間ほどかかりました。

ポートスーダンに着いてから、私たちは3日間、他国へ避難をするための調整に時間を費やしました。最終的には、サウジアラビアが、スーダンから同国に避難する人々のために手配した軍用機に乗ることができました。

写真:サウジアラビアの国際空港に到着

軍用機に搭乗

機内には座席がなく、網状の簡易シートに背中合わせに座ってのフライトでした。サウジアラビアに到着した2日後、私たちは再び飛行機でプラン・インターナショナルの地域事務所があるナイロビに移動しました。

写真:サウジアラビアの国際空港に到着

サウジアラビアの国際空港に到着

困難な状況に置かれた子どもたちを守るために

長く苛酷な旅を経て、現在私はケニアのナイロビに拠点を移して活動を継続していますが、心は今なおスーダンにいる友人や同僚、そして困難な状況の中で日々を過ごしている大勢の子どもたちとともにあります。

スーダンの首都ハルツームでは、安全に活動することができないため、プランの活動は停止しています。他の州では、戦闘が続いているなかでも活動の一部を再開しています。国統括事務所を白ナイル州(ホワイト・ナイル活動地域)に移転し、緊急支援チームを立ち上げました。緊急支援計画を策定し、他の国際NGOと連携して準備を進めています。

すでにいくつかの州で、プランはハルツームから逃れてきた人々2245 人に、ノン・フード・アイテム(NFI)を含む救命物資と生理用品などの衛生キットを配布しました。しかし、危機の影響を受けた子どもたちとその家族を長期的に支援するには、さらなる資金が必要です。

プランのスタッフは、20人ほどがまだハルツームに残っていますが、大部分は安全な郊外に身を置いています。私たちはプランの中東・東南アフリカ地域統括事務所の協力のもと、支援を担うスーダン国内のスタッフが想像を絶する恐怖から来るトラウマを克服できるよう、心のケアセッションやカウンセリングなどの心理社会的支援を提供しています。

OCHAによると、4月15日以降、紛争によって新たに避難した人は93万6000人を超え、そのうち73万6200人が国内避難民、20万人が近隣諸国へ移動しているといいます。紛争により、作物の作付けが難しくなり、食料価格が急激に上昇しています。スーダンで困難な状況に置かれている子どもや女の子、住民たちを守るため、国際社会が一丸となってこの問題に対峙する必要があると実感しています。

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