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スーダン・南スーダンで内戦が続く経緯|独立後の現状や必要な支援

2023年4月に発生したアフリカ、スーダンにおける武力衝突は、日本人を含む外国籍の大使館職員や支援関係者が大勢スーダンに滞在していたことから世界中のメディアの関心を集めました。連日放映される激しい紛争では、多数の民間人が犠牲となり世界に衝撃を与えました。もともとは、ナイル川に運ばれた肥沃な国土と豊富な天然資源を有するスーダン共和国。
一体なぜこのような状況に至ったのでしょう。この記事では、スーダンの内戦に関して、現在の状況や勃発までの経緯などについて解説します。

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アフリカ大陸北東部の国「スーダン」「南スーダン」で内戦が続く経緯

スーダンは、アフリカ大陸のアラブ文化圏とアフリカ文化圏の境界に位置し、世界最長のナイル川を有します。
地理的に古くから中東とアフリカの結節点としての役割を担ってきたスーダンは、歴史的にも他民族の侵入や王朝の興亡、キリスト教やイスラム教の伝播など、幾多の変遷を重ねてきました。
人々の構成も、肥沃なナイル川沿いは農耕民、草原が広がる中西部は遊牧民、アラビア半島に近い北部はアラブ系(イスラム教徒)、サブサハラ・アフリカにより近い南部はアフリカ系(キリスト教、土着信仰など)など多様性に富んでいます。

写真:スーダン南スーダン地図

その多様性が社会構造の複雑化を招き、スーダンでは、延々と紛争が続いています。近年で特に顕著なものは、アフリカ最長の内戦と呼ばれたスーダン内戦、もう一つは、世界最大の人道危機と呼ばれたダルフール紛争です。どちらも対立の根は深く、これらの紛争によってたくさんの犠牲者が出ました。

19世紀末におけるイギリスのアフリカ分割は1882年のエジプト占領から始まり、ついでその後背地を押さえるために、内陸部にあるスーダンにも介入する形で進みました。

19世紀以降のスーダンの内情については、以下の年表の通りです。

1820年~1821年 エジプトのムハンマド・アリー政権によってスーダン北部が征服され、エジプトは次第に南部に支配を拡大
1869年 スエズ運河が開通。イギリスはインドへのアクセスを確保するためにスエズ運河の支配権を重視
1882年 イギリスがエジプトを占領。スエズ運河の権益を確保。スーダンも実質的にイギリスの植民地に
1899年 エジプト共同統治開始
1953年 エジプト革命によってエジプト共和国がスーダンの併合を要求するが、イギリスは拒否し、スーダンに自治権を与えることを決定
1956年 スーダン共和国は独立。しかし、北部のイスラム教徒と南部のキリスト教徒そしてアフリカの土俗的信仰地域との間に紛争が絶えない状況
1955年~1972年 南部スーダンの自治・独立を求めて、軍将校と警察の一部が武装蜂起。スーダン内戦(第一次)が勃発し、1972年にアディスアベバ合意によって一時終結
1980年代 中央政府が南部地域へのシャリーア(イスラムの律法)の強制政策を推し進め強引な国民統合を図り和平は再び破綻
1983年~2004年 ジョン・ギャラン国軍大佐率いるスーダン人民解放運動・軍(SPLM/A)が、南部スーダンの自治獲得を目指してスーダン国軍を攻撃。スーダン内戦(第二次)が勃発し、22年間続く
2011年 南スーダンが住民投票を実施し、独立して南スーダン共和国が成立

独立後も「スーダン」と「南スーダン」で起こる内戦の現状

第一次スーダン内戦は和平合意をもって終結し、南部には自治政府が置かれました。しかし、その後も中央政府と南部スーダンの摩擦は続き、第二次スーダン内戦が勃発。争いは、22年にわたり続きました。2011年には有権者の98%が分離独立を支持し、南スーダン共和国が誕生。
「世界で一番新しい国」としてスタートしたものの、いまだに内戦や暴力が発生している状況が続いています

写真:紛争から逃れてきた人々を受け入れる難民キャンプ(スーダン)

紛争から逃れてきた人々を受け入れる難民キャンプ(スーダン)

第2次スーダン内戦(1983年~2005年)

第2次内戦は、北部を基盤とするスーダン政府が、イスラム化政策を強めたことに反発した南部勢力が反政府組織スーダン人民解放軍(SPLA)を結成し自治権をめぐって武力闘争を開始した紛争です。長期化した内戦はいったん鎮静化したように見えましたが、イスラム原理主義を掲げる民族イスラム戦線(NIF)の支持を受けたバシール軍事政権がクーデターで成立し、SPLAとの対決姿勢を強め、再び内戦は激化。1990年代にはスーダンの石油資源に関心を持つアメリカが仲介に動き、カーター元大統領などがスーダンを訪問、次第に和平気運が高まり、2002年に停戦、2004年5月に政府とSPLAの間で包括的和平が実現しました。

世界最大の人道危機「ダルフール紛争」

スーダン内戦とは別に、スーダン西部のダルフールでは,アラブ系遊牧民族とアフリカ系農耕民族(ともにイスラム教徒)の間で昔からあった水や牧草地などを巡る抗争を背景に,2003年に政府・アラブ系民兵と,反政府勢力の本格的な武力衝突が勃発しました。2006年にダルフール和平合意(DPA)が成立したものの争いは収まらず,死者約30万人,難民・避難民約200万人という人道危機へと発展しました。改善しない治安情勢に国際社会の懸念は高まり,国連安全保障理事会はダルフール地域における武器禁輸措置などを決議したほか,2009年には国際刑事裁判所(ICC)が,人道に対する犯罪及び戦争犯罪の容疑で,バシール大統領に対する逮捕状を発付しました。これに対して,スーダン政府がダルフールで人道支援活動を行っていた国際NGO(13団体)を国外に追放したことから,国際社会との緊張がさらに高まりましたが,2010年2月にはドーハでスーダン政府と反政府勢力の一部が停戦合意に調印するなど,和平実現に向けた努力が続けられました。

スーダンの現状

スーダンでは長年、バシール大統領による独裁的な政権が続いてきました。しかし、2019年4月、パンや燃料の値上げに抗議する市民のデモをきっかけに、軍がクーデターを起こしてバシール大統領は失脚しました。

クーデターの後、暫定統治を続けていた軍は民主化勢力と共同統治を行うことで合意。軍のトップのブルハン氏とハムドク首相のもとで民政への移管を進めることになりました。民主化への模索が続いてきましたが、2021年10月、軍と民主化勢力の対立が表面化し、軍が再びクーデターを起こして実権を握ると、ブルハン氏をトップとする統治のもと抗議デモへの弾圧が続きました。

写真:食料配給の列に並ぶ人々(スーダン)

食料配給の列に並ぶ人々(スーダン)

その後、国連などが仲介に入り、民政移管に向けての協議が進められてきましたが、その過程で準軍事組織である即応支援部隊(RSF)が、軍の再編などを含む協議内容に強く反発したのです。RSFの前身はダルフール紛争がきっかけで立ち上がった組織で現在、10万人が所属し、大きな影響力を持ち続けました。

RSFは、ブルハン氏に次ぐ統治機構のナンバー2になったダガロ司令官の指揮下にあり、軍の再編をめぐってはブルハン氏との確執も取り沙汰されていました。
そうしたなかで起きた2023年4月の軍内部での衝突は、民主化に向けた移行期間の中で、国軍とRSFの完全一体化を進める過程での勢力争い、権力闘争であると言われています

南スーダンの現状

住民投票の結果、2011年、南スーダンは独立を果たし、大統領にはキール氏が、副大統領にはマチャール氏が就任しました。独立を果たしたものの、両国間には、長い紛争のさまざまな爪痕や、石油資源の南スーダンへの偏在などといった問題が残りました。

国連は2011年、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)と国連アビエイ暫定治安部隊(UNISFA)を設立しました。前者は民間人の保護や人権状況の調査及び報告、人道支援活動のサポート、和平合意の実行のサポートを行っており、後者は、国境監視の任務を負っています。国連は、子どもの3人に2人に相当する450万人もの子どもたちが、人道的支援の必要性が非常に高い切迫した状況にあると警鐘を鳴らしています

写真:食糧や栄養不良の治療を提供(南スーダン)

食糧や栄養不良の治療を提供(南スーダン)

スーダンとの対立を経験した南スーダンでは、独立後に国内での政治的対立も起こっています。

2011年1月 南部独立の住民投票実施
2011年7月 南スーダン共和国独立。キール氏が大統領、マチャール氏が副大統領に就任。国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)と国連アビエイ暫定治安部隊(UNISFA)が設立
2013年12月 キール大統領がマチャール副大統領を解雇し、首都ジュバにおいて大統領警護隊同士が衝突
2015年8月 マチャール氏が再び副大統領に就任し、関係修復の兆し
2016年7月 紛争が再発し、マチャール氏が国外逃亡
2018年6月 恒久的停戦を含むハルツーム宣言が採択され、8月には、暫定政府の統治体制に関して合意する和平協定に署名し、マチャール氏が再び副大統領に就任、連立政権が樹立
2020年2月 連立政権が正式に樹立。2023年までの暫定的な連立政権が正式に樹立
2022年2月~5月 上ナイル州やユニティ州で散発的な紛争が発生。173人が死亡、約4万4000人が避難
2022年8月 大統領選挙の実施が2024年12月に延期
2023年 暫定政権が続き、平和プロセスに遅れ

「スーダン」「南スーダン」の内戦から避難した国民を待ち受けていたもの

2011年、長い戦闘を経て独立した南スーダン共和国。2023年に武力衝突が起き紛争が激化しているスーダン。この紛争では、今回の武力衝突により首都ハルツーム、そして西部ダルフールなど各地で多くの民間人の死亡や負傷が報告されています。ここでも、人々は安全を求め、チャド、南スーダン、エジプト、エチオピア、中央アフリカ共和国などの近隣諸国への避難を強いられています。

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避難民の具体的な状況

スーダン国内では重要なインフラが破壊され、水道やトイレ、安全に眠れる場所などの生活基盤が機能不全に陥っています。また、食料、燃料、その他の生活必需品の価格が高騰し、多くの人々が必要な物資を入手できなくなっています。さらに、首都ハルツームでは医療施設の61%が閉鎖され、数百万人が医療を受けることができない状況にあります。日々発生する衝突により、慣れ親しんだ場所を離れ国外や難民キャンプ、国内の別の場所に着の身着のままの避難を余儀なくされた人々は、生きるために必要な設備も万全ではない避難所で、毛布、水、食料、医療支援、保護、心理社会的ケアなどを緊急に必要としています。

また、スーダン、南スーダン両国で、食料やその他の物価の大幅な上昇、作物収穫量の減少、紛争の継続により、急性食料不安が急速に悪化し続けています。最新の総合的食料安全保障レベル分類(Integrated Food Security Phase Classification,略称IPC)によると、スーダン全土で約960万人が、南スーダンでは人口の半分以上(54%)に当たる約660万人が、高レベルの深刻な食料不安に陥っています。また、食料不安の状況下では多くの場合、食料や水、薪の収集に多くの時間を費やさなければならない女の子や子どもたちが性暴力の危険にもさらされます。同伴者と離れ離れになった子どもや女の子、女性が性的搾取、虐待や暴力、ハラスメントの対象になるリスクも高まっています

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内戦が続く「スーダン」と「南スーダン」に必要とされる支援

スーダンと南スーダン両国とも、40年以上に及ぶ内戦の影響で、広大な国土全域での開発が遅々として進んでおらず、保健、教育、水と衛生といった基本的な社会サービスや、電力、道路などの基礎的なインフラが不足しています。また、それらの公共サービスを提供する体制が整っていないため、人々は劣悪な環境に置かれています。肥沃な土地にも恵まれ、高い農業の潜在力を有しているものの、土地の所有権を巡る争いや、農業開発のために必要なインフラ、組織、制度、法的枠組みが欠如するなどさまざまな理由により、危機的な食料不足が続いています

スーダンでは紛争が激化した2023年4月15日以降、医療や水の供給を含む重要なサービスの提供が広範囲で中断されており、子どもたちと家族の生命が脅かされています。4月15日以降、紛争によって新たに避難した人は93万6000人を超え、そのうち73万6200人が国内避難民に、20万人が近隣諸国へ移動していると報告されています

物資の供給

紛争によりスーダン・南スーダンの人々は住む家を追われてしまった人々は、衛生状態は悪い環境のもと、食料が不足している状況が続いています。着の身着のまま最小限の荷物で避難してきた多くの人々は、安心して身を寄せられる避難施設、保護、毛布、食料、水、医療支援、心理社会的支援を緊急に必要としています。

子どもや妊婦のケア

国連人口基金(UNFPA)によると、紛争が激化しているスーダンでは、およそ21万9000人の妊婦が危険にさらされているとの報告があります。出産時の医療行為や出産前後のケアなどを受けられないため、妊婦や子どもが亡くなるリスクが高まっています。激しい戦闘により外出は難しく、ハルツームでは少なくとも20の病院が閉鎖に追い込まれてしまいました。全国的には12の病院が稼働してはいるものの、停電や断水、スタッフ不足のため、いつ閉鎖されてもおかしくない状況です。

写真: 妊娠中の女性にビタミンを強化したサラダ油の支給(南スーダン)

妊娠中の女性にビタミンを強化したサラダ油の支給(南スーダン)

人道支援も行き届かないため、医療施設では人員や医療物資の不足が続いています。保健システムの崩壊により、妊婦や胎児が死亡する危険性があるだけでなく、ジェンダーに基づく暴力のリスクの高まりも危惧されています。

衛生面の整備

紛争を経験した難民の人々は、心に傷と不安を抱えて避難してくるケースがほとんどです。スーダンの人々を受け入れている難民居住区では、清潔な水の確保や安全なトイレの使用が困難なうえ、思春期の女の子たちの場合には、生理用のナプキンが不足し、生理について相談する母親や姉妹の不在が問題となっています。生理の仕組みがわからない女の子たちは、生理中には外出もままならずこもりがちの生活となってしまいがちです。衛生面を整備することは、子どもたち、特に女の子の尊厳を守るうえでも重要です。

教育環境の整備

学校施設が破壊され教育を受けられなくなってしまう子どもたちが大勢いる一方で、多くの難民が流入した周辺の国々では、急増する子どもの数に学校数や共振の人数が追いつかない状況に陥っています。そのため大勢の子どもたちが、教育を受ける権利から大きく遠ざけられてしまっています。

写真: 南スーダンで学用品の支給

南スーダンで学用品の支給

スーダン危機下の子どもたちを一刻も早く守るために

プラン・インターナショナルは、紛争に巻き込まれた子どもたちや、戦火のなか住む家を追われ避難を余儀なくされた子どもたちを守るために、寄付募集を行っています。何百万人もの子どもたちが、紛争のなか恐ろしい光景を目の当たりにしています。暴力は、身体的・心理的に深刻な影響をもたらすトラウマに子どもたちを長期間さらすことにつながり、子どもや若者の精神的な健康に大きな打撃を与えてしまいます。

写真:プランスタッフとスーダンの子どもたち(スーダン)

プランスタッフとスーダンの子どもたち(スーダン)

プランは、子どもの保護や心理社会的ケアを中心に、移動手段の提供、緊急医療サービスの提供、食料、水と衛生(WASH)サービスの提供、保護施設の提供、家族の再会サポート、寝具、蚊帳、月経衛生キット、石けんなどの提供、長期的な支援を実施しています

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