[Q1] 始められたきっかけは?
新婚旅行(1991年暮れ)が、南米ボリビアのアマゾン源流域でした。活気こそありましたが、住環境の劣悪な部分を見、(もともと自分の子どもをもうける気がなかったのもあり)せっかくなら途上国の子どもを支援してゆきたいと考えました。帰国後、どれくらい経った頃であったか、フォスター・プラン(当時)の新聞広告を見、そのような機関もあると知り、資料を取り寄せました。
[Q2] 支援して良かったこと・印象に残っていること
二度のホンジュラス、エル・セドラル村訪問。整った簡易水道設備や小学校を嬉々として見せてくれるチャイルドと直に接し、つくづく良かったなぁ、と実感しました。
[Q3] 支援を続けることに、どんな発見や意義があると思われますか?
直に見に行くことはそう出来ることではありませんが、手紙で逐一、様子を知らせてくれます。着実に住環境、教育環境が向上してゆく様子が伝わります。現地ももちろん自助が肝要ではありましょうが、手を差し延べることで促進されるものも多かろうと考えます。
[Q4] これからの世界の子どもたちやプランに期待することは何ですか?
ネットでのやりとりが導入されたことで、より若い層の参入が可能になると思われます。例えば、学校単位、学級単位でチャイルドと継続的に支援、交流してゆくとか(もうやっているかな?)
やくみつるさん
漫画家
1959年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。1981年「がんばれエガワ君」で漫画家デビュー。新聞・雑誌に多数連載のほか、クイズ番組、ワイドショーにも出演。ほかに日本昆虫協会副会長、元日本相撲協会生活指導部外部委員など、多方面で活躍中。1996年から、プラン・スポンサーシップの支援者として、ホンジュラスの子どもたちと交流中。
[Q1] 始められたきっかけは?
クリスマスコンサートでチャリティー缶バッチを作り、購入くださったお客さまからの収益金をどうしようか思案していた時に、プランへと思いました。それまではコンサートに出演してくれたカトリックの小学校を通じ、途上国の教育支援に寄付していて、プランも子どもたちの支援を幅広くされているので、年に一回、しばらく利用させていただいていました。その後、ささやかですが、個人でアフリカの女の子の支援をさせていただいています。
[Q2] 支援して良かったこと・印象に残っていること(具体的なエピソードなどもあれば)
コンサートにいらっしゃるお客さまが毎年12月缶バッチで寄付をすること、使い道をファンクラブに報告することで、来年もまた寄付をしようと楽しみにしてくださる空気ができました。音楽に温かな付加価値が生まれた気がします。個人では、遠い国のニュースも、思いを馳せて世界情勢や平和について考えるきっかけになりました。
[Q3] 支援を続けることに、どんな発見や意義があると思われますか?
まだまだ女性の立場が弱く、不利を強いられている現状を、プランを通じて知ることができました。
多くの人が支援に関わることによって、国ごとの格差が縮まり、結果、平和な社会を築く基盤になると思います。
[Q4] これからの世界の子どもたちやプランに期待することは何ですか?
これからもスタッフの方々が現地の人と身近に触れ合える信頼関係を築かれてください。また、子どもたちが将来仕事を持てるまでが支援であって、長いタームで何をどうするのかは、難しい問題だと思います。気楽に「ワンコイン支援」なども良い気もします。
辛島美登里さん
シンガーソングライター
鹿児島県出身。国立奈良女子大卒業後、作曲家として活動開始。1989年アーティストデビュー。 翌年1990 年「サイレント・イヴ」が大ヒット、アルバムごとの全国ツアーを実施。1995年「愛すること」で第37回日本レコード大賞作詞賞を受賞。2011年4月東日本大震災へのチャリティーCD『手をつなごう〜ひとりぼっちじゃない〜』をリリース、HPでの言葉の募金活動・被災地でのライブなどを現在も続行中。2021年からプラン・スポンサーシップの支援者として、ウガンダの子どもと交流。
[Q1] 始められたきっかけは?
これといったきっかけはありません。昔から、貧困に苦しむ子どもたちを支援したいなと思っていたので、昔、今かと踏ん切って始めました。決意ひとつでした。
[Q2] 支援して良かったこと・印象に残っていること(具体的なエピソードなどもあれば)
最初の支援していた子どもが少年になり、支援を卒業する年齢になったまでの、おりに触れて送ってもらう写真と手紙の成長ぶりがなんだか嬉しかったです。その後の幸せを祈らないではいられませんでした。
[Q3] 支援を続けることに、どんな発見や意義があると思われますか?
世界のどこかに自分の子どもが一人いる、なんていう気持ちになることです。それまで縁のなかった国(グアテマラなど)に興味がわき、地球的関心を持つようになることも、素敵なことだと感じます。
[Q4] これからの世界の子どもたちやプランに期待することは何ですか?
子どもたちに関しては、貧困によって苦労する子どもたち、人生の可能性を奪われる子どもたちが一人でも減ることを祈ります。プランさんには、これからも息長く、子どもたちを援助する体制を続けられることを望みます。なるべく多くの子どもたちを助けられるようになれればより素敵だと思います。
鴻上尚史さん
作家・演出家
1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる 』(岩波ジュニア新書)、『鴻上尚史のほがらか人生相談』(朝日新聞出版)、『媛県新居浜市上原一丁目三番地』(講談社)がある。2006年からプラン・スポンサーシップの支援者として、ボリビア、ペルーの子どもと交流。
[Q1] プランのご支援を始めたきっかけ、また、どこでプランをお知りになりましたか?
学生のときから何らかの形で途上国支援をしたいと思っていて、就職を機に始めました。 プランのことは、通勤電車のなかで広げた新聞の広告で初めて知りました。
[Q2] 長く支援をお続けいただける秘訣や、ご自身のお気持ちの保ち方は?
プラン・スポンサーシップは、長い期間であるからこそチャイルドの成長を見ることができると思いますし、あらゆるプロジェクトもプランのウェブサイトや支援説明会「プラン・ラウンジ」、機関誌『プラン・ニュース』などのご報告から有効な支援だと実感できるので、継続しています。
[Q3] 「支援してよかった」と思われる瞬間
チャイルドのお手紙や毎年届く現地のプランからの「1年の歩み」で、遠い国で元気に暮らしていることがわかるとき。現地や日本の職員の方々が時間と労力だけでなく、志を持って尽力されていることが実感できるとき。
[Q4] これからプランに期待すること
支援者が自分のチャイルドの国や地域についてより身近に感じ、興味を持ち続けられるよう、その国で起きていることなどを発信すること。支援者の裾野を広げて、これからも現地のニーズに合わせて充実したプロジェクトを実施すること。
[Q5] 途上国の子どもたちにひとことお願いします!
今、とても厳しい状況に生きているかもしれないけれど、誰もが持っている可能性がいつかきっと人生をいい方向に変えていくと思います。自分を大切にしてくださいね。
樫村さん
支援歴約30年。プラン・スポンサーシップのご支援者。東京都在住。
[Q1] プランのご支援を始めたきっかけ、また、どこでプランをお知りになりましたか?
35か36歳の頃、結婚も自分の子どもを持つことも不可能らしいと悟りました。そんな時NHKラジオで子どもたちの支援をしている組織の紹介番組を聴きました。これなら参加できると考え、NHKに電話をして、番組で取り上げた組織をいくつか教えてもらいました。そのうちでフォスター・プランが最初だったので連絡したのがきっかけです。
[Q2] 長く支援をお続けいただける秘訣や、ご自身のお気持ちの保ち方は?
予想通り結婚も子どもを持つことも叶わず、幸い仕事には恵まれて収入があったので、支援は続けられました。しかし年齢とともに収入が減ったので、プラン・スポンサーシップからグローバル・プロジェクトへ、支援額を減額して継続しました。
[Q3] 「支援してよかった」と思われる瞬間
私が支援を続けていることを知り、子どものいない友人夫婦がプラン支援に参加してくれたこと。
[Q4] これからプランに期待すること
支援参加者を拡大するのは難しいでしょうが、なんとか努力して欲しいです。子どもたちを支援する制度は日本でも徐々に広がっているようなので、「オンラインを活用した支援」も広げる可能性はあるのでは?
[Q5] 途上国の子どもたちにひとことお願いします!
今は途上国でも何年か後には活気のある国になるかも知れません。「先進国」である日本で、経済的には何不自由ない生活をしているのに不幸な子、やる気を出せない子がたくさんいます。途上国の子どもたちの方が希望に向かって進む気力があるかも知れません。ハンディはあっても、希望と目標を持って最善を尽くして欲しいです。
髙橋さん
支援歴37年。当初はスポンサー。現グローバル・プロジェクトご支援者。千葉県在住。
[Q1] プランのご支援を始めたきっかけ、また、どこでプランをお知りになりましたか?
朝日新聞で当時の「フォスター・プラン」の記事を読んで。
フォスター・プラン(当時)が日本で支援者を求めているという内容でした。そのころ、何か誰かのためになることをしたいと考えていたのと、具体的に一人のチャイルドを見守ることができ、同時にその地域の生活改善に役立つという内容に共感しました。
[Q2] 長く支援をお続けいただける秘訣や、ご自身のお気持ちの保ち方は?
支援金が自動的に銀行口座から振込みになっているので、いつの間にか長く続きました。いつも私がささやかな支援ができることに感謝しています。
[Q3] 「支援してよかった」と思われる瞬間
幼かったチャイルドが何年かのうちに大きくなり、写真や手紙で成長が実感できることです。またチャイルドの暮らす国々への理解が深まりました。
[Q4] これからプランに期待すること
できるだけ多くのチャイルドへの支援を繋いでほしい。日本では高齢化で支援者が減少傾向にあるかもしれませんが、次の世代に持続可能な支援方法を生み出してほしいと思います。
[Q5] 途上国の子どもたちにひとことお願いします!
まず生き延びること。どんな環境にいても自分を大事に自信をもって生きてほしい。そして幸せな未来がありますように。
辻さん
支援歴39年。当初はスポンサー。現ガールズ・プロジェクトご支援者。大阪府在住。
[Q1] プランのご支援を始めたきっかけ、また、どこでプランをお知りになりましたか?
45年前、夫の海外赴任先ネパールタライ地方で2年間生活して途上国の実情、村人の生活や小さな子どもたちが遠くの井戸まで水汲み行く姿、そして子守りや家畜の世話など農作業をしている様子を見て心が痛んだ。帰国後、フォスター・ペアレント(当時)の制度を知り、ネパール、スリランカの子どもの支援を始めた。
[Q2] 長く支援をお続けいただける秘訣や、ご自身のお気持ちの保ち方は?
その後子育てや夫の2回の海外勤務があり交流が途絶えた。その時その時できるささやかな支援ですが、プラン・インターナショナルのスタッフの尽力により、それが形になり途上国の子どもたちに届いていることに感謝しています。
[Q3] 「支援してよかった」と思われる瞬間
活動報告が送付され、ささやかな寄付でも途上国のこどもたちに役立っていると知ること。
[Q4] これからプランに期待すること
これからも、直接支援するのが難しい私たちに代わって現地のニーズに合わせた支援を、特に女の子が犠牲になってしまうことから女の子を保護し自立できるよう、環境、習慣の改善、向上心ある子どもたちをサポートしてほしい。
[Q5] 途上国の子どもたちにひとことお願いします!
戦争、自然災害、貧困、困難なことが多いなか、あなたたちの小さな澄んだ瞳と笑顔に私たちも元気づけられます。
西村さん
支援歴35年以上。当初はスポンサー。現ガールズ・プロジェクトご支援者。茨城県在住。
『混迷を深める世界で』
2023年、子どもたち、とりわけ女の子たちの権利の推進者であるプラン・インターナショナルの活動は、これまで以上に重要性を帯びています。今、世界では、子どもたちや若者たちが新しい脅威に直面しています。彼らは著しい経済的負担と苦闘する社会で育ち、多くの若者が失業と社会的排除のリスクにさらされています。世界でおきる紛争の余波、コロナのつめ跡、深刻さを増す気候変動。これらが子どもや若者に及ぼす影響を思うとき、プランは開発支援、そして人道支援をさらに強化していくことを、あらためて決意表明せざるを得ません。
2022年度、プランは約11億ユーロのご寄付をいただくことができました。これらは、世界83カ国の5万6,000ものコミュニティでの活動に充てられました。我々は、2,770万人もの女の子、そして120万人のチャイルドに支援を届けることができました。我々の活動は、新しいグローバル戦略である「‘All Girls Standing Strong Achieving Global Change(女の子たちよ、世界を変えるために立ち上がろう!)」に沿っていきます。これは、国連のSDGs(持続可能な開発目標)を推進するために、そして「女の子の権利」というプランの焦点をより深めるという目標を明確にするために作られました。
我々の日本の仲間である皆さまは、プランの目標や使命を達成するために、欠かせない存在です。子どもたち、そして女の子たちがより明るい未来を切り拓くことを後押しするために、彼らの声をより大きくしていく活動において、皆さまとの堅く強い協働はとても心強いものです。引き続き、日本の皆さまからの寛大で揺るぎないご支援を賜れますよう、心よりお願い申し上げます。
スティーブン・オモロ
プラン・インターナショナル国際本部 CEO
各国赤十字・赤新月社の国際連合体として人道支援活動に取り組むIFRCのジュネーブ・オフィスにて、人道的外交チーフおよびパートナーシップ開発のグローバル・ディレクターとして勤務。その後、ワールド・ビジョン・インターナショナルの副総裁および東アフリカの地域統括ディレクターを経て、2022年1月より国際NGOプラン・インターナショナルCEO。人道支援、開発支援の分野で多くのリーダー的役職の経験を多くもつ。
『変化を生み続けた40年間。そしてこれからも』
プランの日本での創立40周年、仲間としてとてもうれしく誇らしく思います。
この40年は、世界でもっとも弱い立場に置かれている子どもたちが、自らの権利と可能性に気づくことができるよう、皆さまが支え続けてくださった年月です。そして、それは成果を生んできましたし、今も生み続けています。
アジア、アフリカ、中南米の女の子たち、男の子たちの人生に変化を生み出すために、日本のスポンサーの皆さま、そしてご支援者の皆さまがお送りくださる絶え間ないご支援に、心よりの感謝と称賛をお送りします。皆さまのご支援により、子どもたちとその家族は、より安全な場所に暮らし、よりよい教育や保健サービス、安全な飲料水や衛生設備にアクセスできるようになったからです。
日本の皆さまからの継続的なご支援は世界の他の国々からの支援と一体となり、私たちプランが弱い立場の子どもたちの生活に持続的な変化をもたらすために闘い続けることを可能にしてくれています。
プランは、スポンサーの皆さまとチャイルドの交流を意義あるものとするべく、テクノロジーの力を最大限に活用した交流のあり方や媒体を引き続き模索していきます。
私たちは、世界の子どもたちの権利の促進と女の子のための平等を目指して、日本のスポンサーやご支援者の皆さま、日本の同僚たちとともに活動していくこれから先の年月を、とても楽しみにしております。
引き続き、皆さまからのお力添えをよろしくお願いいたします!
ミン・ヴィアド
プラン・インターナショナル国際本部 スポンサーシップ責任者
プラン・インターナショナルの国際本部にて、グローバル・スポンサーシップ・オペレーションチームを率いる。効率的、かつ効果的なスポンサーシップの実施と管理維持をめざしてリーダーシップを発揮している。
『日本からの資金で、女性性器切除や児童婚から女の子が守られています』
プラン・インターナショナル・ジャパンの創立40周年に際し、心からのお祝いを申し上げます。
日本のプランからの支援により、エチオピアの何万もの子どもたちや若者、女の子や女性たちが支えられてきました。子どもたち、特に女の子たちの生存、発達、教育、そしてリスクからの保護などに関わる活動に多大なる貢献をしてくださったのです。エチオピアの社会や市民にとって、それは必要不可欠な貢献です。
日本の皆さまからの資金は、現在では特に女性性器切除や児童婚の撲滅などに役立たせていただいております。それは生計向上のプログラムやリスクから女の子を守る仕組みの構築を通じて、何万人もの子どもたちや女性に波及しています。
しかし、彼らを取り巻くリスクや社会問題はこれまでになく増しており、コミュニティにおいても、また行政のレベルでも、彼らを守る仕組みの強化が必要とされています。
日本の皆さまからご支援は、より多くの子どもの命が守られ、より多くの子どもが学校に通い、より多くの女の子が中途退学や虐待を避けることができ、より多くの家族の生計が向上することを意味します。
これからさらに、日本とエチオピア、世界のプランとのパートナーシップがより強いものとなりますよう、心から願っております。
アレマエフ・モラ
エチオピア国統括事務所 プロジェクトコーディネーター
プラン・インターナショナル・エチオピアのプログラム部所属。心理学で学士号、ソーシャル・ワークで修士号を取得。専門は「子どもの保護」「若者の性と生殖」「生計向上」。プランを含む国際NGO、ローカルNGOにて15年の勤務経験をもつ。
『40年間の変遷とともに』
機関紙『プラン・ニュース』の発送要員としてアルバイトで入局した当時の支援者数は約3000名。職員は、事務局長の山本氏の他、女性5~6名でした。狭い事務所の壁の棚には、支援者ごとに作られた紙ファイルが並んでいました。
日本経済も上向きで、メディアも途上国の状況に目を向け、その状況を頻繁に伝えていたので、新聞広告を出すたびに、資料請求のハガキが束になって届いていました。財団法人から公益財団法人への移行もこの頃。
今では各職員がPCを使用し、活動国へも直接連絡を取っていますが、当時は、海外の事務所へ連絡するには航空便を出すか、急ぎの場合は、道を挟んだ向かいのビルの畠澤先生(日本でのプラン創立の立役者で、現・顧問)の事務所でテレックスを打ってもらっていました。手書きだったチャイルドの資料を、普及し始めたワードプロセッサーを使って作成するようになったのもこの頃です。狭い事務所でしたが、新聞社の方や広告会社の方、支援者の方もよく来られていました。
1990年代後半、6万名を超えるほどに支援者が増え、それに伴い職員数も増え事務局が手狭となり、永田町から三軒茶屋へ移転。その間に、支援者ごとの紙ファイルはなくなり、ワードプロセッサーがPCに代わり、インターネットの普及で海外からの情報が瞬時に手に入るようになり、日本人の職員が海外事務所に駐在し、活躍するようになりました。
一方で、グローバル化と言われながら、見えない壁が厚く、高くなっている気がします。そんななか、日本国内の災害や貧困も大きな課題となっている昨今でも、途上国の子ともだちへ目を向け、手を差し伸べてくださる方がいらっしゃることを心強く思っています。
高瀬 留美
リレーション開発部 アサイン担当
1988年、機関紙の発送担当アルバイトとして事務局に入局。職員としてドナーサービス部支援者対応、寄付金管理担当、総務経理などを担当。現在はアサイン担当として、プラン・スポンサーシップの支援者へ、支援を待っている子どもたちを紹介する業務にあたっている。
『“女の子だからこそ!”と言える世界に』
ラオスへの初出張で出会った、女性の自信に満ちた顔がまぶたに残っています。幼稚園の先生をしている彼女は、プランのトレーニングを通じて教授法を学び、「今は、誰が私の授業を見に来ても怖くないわ!」と言っていました。プランの支援は、女の子・女性が本来の力を発揮し、自信を取り戻すことにつながっていると実感した瞬間でした。
プラン・インターナショナルは、2012年からの10年間、女の子の生きる力を支援するキャンペーンを実施。女の子が直面する課題に焦点を当てた「ガールズ・プロジェクト」を通じて、2018年から約20万人の子どもたちを含む約50万人の途上国の人々を支援してきました。長年、信頼関係を築いてきた皆さまにご支援いただいた40年の活動経験の積み重ねがあったからこそ、近年特に力を入れている女の子支援でも、成果を達成することができたと感じています。
私は「女性性器切除から女の子を守る」プロジェクトを担当しています。エチオピアでは、女性性器切除(FGM)根絶に向け、コミュニティで対話セッションを主導するファシリテーターを育成。2022年度だけでも約1万人の女性・女の子、4000人の男性・男の子が参加し、地域の人々の意識に変化が生まれました。女の子や女性たちは、これまでタブー視されていたFGMや早すぎる結婚などの慣習を助長するジェンダー規範について、堂々と発言できるように。こうした変化が大きな波となって、長年続いてきた「FGMを受けないと、女の子は結婚できない」という、地域のジェンダー規範をも変えていくのだと思います。
「女の子だから」と機会を奪われるのではなく、「女の子だからこそ」世界を変える力になれる。
一人でも多くの女の子・男の子が、ジェンダー規範に縛られずに、自分の人生を自分で決められるようになる。そのような未来は、ご支援いただいている皆さまの期待や信じる気持ちの中に既に在るのかもしれません。ぜひ、支援者の皆さま、そして世界中の女の子や男の子と、そんな世界を一緒につくっていけたら嬉しいです。これからのプラン・インターナショナルに、引き続き、あたたかいご支援をよろしくお願いします。
水上 友理恵
プラン・インターナショナル プログラム部
2021年、プログラム部スタッフとして入局。JICA(国際協力機構)にて南部アフリカのインフラ開発・援助戦略策定を担当したのち、教育系ベンチャーで生活の中で互いから学びあう教育寮の立上げ・運営を経て、現職。慶應大学法学部法律学科卒、ロンドン大学大学院社会学部人権学科修了。
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