(2026年05月20日更新)
わたカフェの内観
国内支援事業グループで、女の子の居場所である「わたカフェ」のスタッフをしている志村です。わたカフェのコンセプトに惹かれてこの現場に飛び込み、もうすぐ2年が経ちます。短い期間ではありますが、現場で若者と関わるなかで、その感度の高さから学ぶことが本当に多いと感じています。
変化の多い新生活の時期、私が関わってきた若者たちは、いまどんな気持ちを抱えているのでしょうか。わたカフェの特徴とともに、現場で感じてきたことをお伝えしたいと思います。
わたカフェの特徴
思い思いに過ごす女の子たち
わたカフェでは、「何もしなくてもいい」という時間を大切にしています。あわせて、予約なしで相談ができることも、特徴の一つです。当然、時間に限りはありますが、過ごしているうちに話したくなって相談する人や、「今日初めて来てみたけれど相談してみよう」と声をかけてくれる人もいます。
きっかけがどうであれ、勇気を出して足を運んでくれたこと自体を、私はとても嬉しく感じます。まずはリラックスして過ごしてもらえるよう、日々心がけています。
新しい環境への恐怖
新生活が始まることの多い4月から5月にかけて、不安を感じる若者が多いと感じています。初めて会う人と一から関係を作っていくことや、見えないルールを理解することなど、さまざまな適応能力が求められます。そうしたなかで、ネガティブな想像が先立ち、不安が一層高まっていくように感じる場面もあります。
「やりたいこと」を求められる苦しさ
新しい環境で感じた不安は、そのまま「この先どうすればいいのか」という迷いにつながっていくことがあります。
やりたいことに向かう機会が与えられ、希望に満ちている若者はあまり多くないのではないかと思っています。そもそも「やるべきこと」をしてきたのに、急に「やりたいこと」を見つけるのは難しいことです。進学も就職も自分の希望ではなかった、比較されるのが苦しい、できなかったらどうなるんだろう、と深く思い悩みます。また、新年度で生活に変化がない人もいます。そうすると自分が取り残されたように感じることがあります。学生か社会人かどちらかにならなければならないけれど、そうしたくない、できない。そんな状況で身動きが取れない若者も多数いると思っています。
変化がある人もない人も、「人との違い」を意識して苦しくなっていると感じます。家庭や学校で過ごしてきた時期には、特に周りと同じであることを求められてきたのではないでしょうか。そのなかで、人と違っていいという感覚を持てないまま、ひとりで抱えて辛くなっている人も多いと感じています。
本音を伝える難しさ
今は知りたいことも悩みもAIなどのツールがいつでも応じてくれます。どんなことを言っても相手に気を遣う必要がないからいいのだそうです。能力に関わらず、若者は自分の思っていることをなかなか言葉にできないと感じています。驚くほど周りに気を遣って生きていて、周りの期待を察知して、そのように振る舞います。「元気そうだね」と言われると元気なふりをしています。本当はそうじゃない、こんなに暗いんだ、元気じゃないんだと伝えたくても、役割を演じていないと受け入れられないのではないかと思っているのです。ただ、それを続けていると限界がきてしまいます。身体や精神に症状が出るほどになっても自分の辛さに気づかないくらい、役割を演じることが身についてしまっているようです。
何をしても楽しくなく生きている実感がないが、それがなぜなのかわからないと話してくれた女の子がいました。それまで求められることを察知して最適な振る舞いをしてきたそうです。それもすごい能力だと思いますが、本人は「したいこと」をしているつもりなのに、無意識に「周りの人がした方がいいと思っていること」「自分に確実にできること」を選択してきたのではないかと思います。一見、なんの問題もない穏やかな生活を送っているように見えても、周りに合わせ続けた時間の積み重ねが彼女を苦しくさせるのではないかと思っています。きっとそうする必要があり、適応してきたのではないでしょうか。
失敗を避けようとする気持ちの裏側で
私が関わってきた若者たちの多くは、正しいとされることや成功例を、インターネットを通じて視覚的に大量に受け取っています。そのなかで、落ち込む理由が、そうした情報と無意識に自分を比較していることだということがよくあります。切り取られたコンパクトな話で理解した気になってしまい、当てはまらない自分にはもう選択肢がないと悲観してしまいます。
また、今はインターネット上で皆が同時に意見を言える時代なので、不特定多数の意見を知ってしまい、どんなことにも批判する人がいることを知ります。誰に何を言われるかわからないと思うと、失敗を回避するようになり、万人に気を遣いすぎて自分の気持ちが分からなくなって、疲れてしまっているようです。暗黙の「してはいけない」が多すぎて生き方の自由度が低くなっているように感じます。
私は若者が家庭と学校以外の視点を知ることで未知のことに挑戦しやすくなるのではないかと思っており、相談にならなくても、安心して自分のことを言葉にしてみる、してみてよかった、という経験が大切だと考えています。
少し立ち止まって、考えてみませんか?
これを読んでくださっている上の世代の方は、自分ではどうにもならない苦しい時、辛い時にどう乗り越えてこられたでしょうか。もしくはひとりで耐えていたとき、何を思っていたでしょうか。
今辛い状況の若者を見て「私も乗り越えたから自分で頑張れ」と思うか、「私は辛かったから同じ思いをしてほしくない」と思うかのどちらでしょう。若者による出来事が起きたとき、なぜ周りに自分の状況を伝えることを選べなかったのか、そのことを想像してください。そして私も若者から少しでも話そうと思われる人になりたいと思っています。
また、ここまで読んでくださった若い世代の方へ。
空気を読んで言えなかったことや、自分で何とかしようと抱え込んでいることはありませんか。家庭や学校、会社だけがあなたの時間のすべてではありません。思うことは自由です。あなたのことを話せそうな人を、少しだけ探してみませんか。







