(2026年06月04日更新)

「何者かになりたい」「何かを極めなきゃ」──進路やキャリアを考えるなかで、そんな焦りを感じたことはありませんか?
ラジオパーソナリティ、エッセイスト、MCなど、多様な肩書きで活躍する長井優希乃さんは、これまで「なりたい職業」を一直線に目指してきたわけではないと言います。
型にはまらずに自分らしく生きる長井さんに、「自分らしく生きるヒント」を深掘りしてうかがいます。
自分らしさに悩んでいる方は、ぜひ最後までご覧ください◎
長井優希乃さん
ラジオパーソナリティ、エッセイスト、MC、ヘナ・アーティスト、元社会科教員。立教大学在学中に「ヘナ・アート」と出会い、世界各地を旅しながら文化人類学を学ぶ。京都大学大学院ではインド・デリーのヘナ・アーティスト家族と暮らしながら研究を行い、修了後は青年海外協力隊としてマラウイで芸術教育に携わる。著書にWEBコラム『バイブス人類学』、書籍『令和GALSの社会学』など。
人生を変えた「文化人類学」との出会い
── 多様な分野で活躍されている長井さんですが、現在の主な活動とは?
現在はラジオパーソナリティ(J-WAVE『SUNNY VIBES』)、ポッドキャスター、フェスMC(フジロック等)をしています。
その他には、執筆業をしたり、講演をしたり、ヘナ・アーティストとしても活動しています。
それ以前は、社会科教員だったり、青年海外協力隊(現・JICA海外協力隊)にいたりと…分野を超えて活動していますね。
── 多岐にわたる活動ですが、なぜ多様な仕事をするに至ったのでしょうか?
元をたどると、子どもの頃から世界の文化や人々の暮らしにすごく興味があったんです。
中3の時、学校の特別講座「ネパール舞踊」を選択できるチャンスがありました。
ただその講座は全然人気がなくて、学年で選んだのは私含めて2人だけ。
ですが先生に習うなかで、「世界の人々の文化や生活を知ることってすごく面白い!」とのめり込んでいきました。
そんな世界の文化や人々の営みを研究するのが「文化人類学」という学問だと知り、大学でゼミに入りました。
その後、1年休学してバックパッカーとして旅に出ました。
旅の最中、路上でヘナ・アートをしているインド移民の女性に出会いヘナを習い、そこからいろんな国の路上でヘナをはじめたことでヘナ・アーティストとして活動するようになりました。
その後は大学院に進学し、文化人類学の研究のためインドでフィールドワークをしたり、青年海外協力隊でマラウイ共和国に行くことになったりと──いろんな経験を経て、今の仕事にたどり着いています。
── 多ジャンルに見えますが「文化人類学」という1つの軸があるのですね。
そうなんです。文化人類学や人々の営みについて発信したり、自分が大切だと思うことを軸にさまざまな形で活動をしていたら、各所からお声をかけていただくようになり、今の仕事にたどり着いたという感じです。
選ぶときは「自分の大切にしたい倫理観」を重視
── 多くの人が進路やキャリア選択に悩みますが、長井さんがキャリアを選ぶときの基準とは?
思い返すと、キャリアを選ぶときは「自分の大切にしたい倫理観」を重視していたと思います。
例をあげると、私の就活時期が青年海外協力隊(マラウイ)の募集時期と重なっていたんです。協力隊の合格通知を受け取ったとき、すでに大手のIT企業に内定を頂いていました。
大手IT企業か、マラウイに行くか…で迷った末に、私はマラウイを選びました。
── その選択は、すごく勇気がいりますね。
選択肢が複数あること自体とても運のいいことで、ありがたいことだと思います。
その上で、自分が大切にしたいものは何かな、と考えたときにそのIT企業ではもしかしたら自分の倫理観に合わないこともやらないといけなくなるかもしれない、それは嫌だなあと思ったんです。
その企業の社風や働いている方々はとても素敵で好きだったのですが、テクノロジー開発をどんどん進めてとにかく新しいものをつくり、素早く進んでいこう、という価値観があるように感じました。それ自体が悪ではないし資本主義的な競争社会においてはそうあるべきなのしれませんが、個人的には、素早さ・新しさよりも、丁寧な倫理観の追求をしたい、そうしないととどこかで搾取される人が出てしまうのでは、と思っていました。
もし自分が搾取の一端を担ってしまうことになったら嫌だなあ、と思って悩んだ末、せっかく内定をいただいたのに申し訳ないと思いつつも辞退しました。
進路を決める時には「何をやるか」にフォーカスをあてがちですが、「何をやらないか」もとても大事だと思っています。
もちろん、「心がワクワクするか」というポジティブな軸も大事ですので、両軸で考えると良いかもしれません。
── 人と違うことをする、道から外れることに恐怖はありましたか?
中学生の頃くらいまでは、学校で悪口言われたらやだなとか、ミスしたら恥ずかしいな…など、今よりもっと人の目を気にしていました。一方で、みんなに自分という人間を見て知って欲しい、という気持ちも持っていたんですね。
転機だったのが、先ほどお話した中3でネパール舞踊に出会ったこと。
自分を構成する軸、アイデンティティができた気がして、すごく嬉しかったんです。
「人と違うから怖い」という感覚よりは、周りから「優希乃って、こういうのが好きなんだ」と思われることが心地よかった。
10代はアイデンティティに悩む時期ですが、ネパール舞踊に出会って自分を説明できる何かができていく感覚がありました。それが、日々の安心材料になった気がします。
モヤモヤに向き合ってみる
10代・20代は、人も物事も「初めて」に出会うことが多いと思います。
何かに出会った時に「何を感じたか?」を自分の心と頭に問いかけてしっかりと咀嚼してみるといいと思います。
ワクワクしたのか、それとも「ちょっとおかしいな…?」とモヤモヤしたのか。
頭のなかで考えるだけでなく、話したり書いたりしてみてもいいですね。
── 気持ちを言語化するということですね。
言語化はしても、しなくても良いと思います。
モヤモヤを無理に言語化せずに、言葉にならないまま頭のなかで持ち続けてもいいと私は思います。いつか言葉にできる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
また別の新しい出会いのタイミングで言葉になって溢れ出すかもしれないし、毎回無理矢理言語化しなくても大丈夫。
悩みやモヤモヤに向き合い続けることは苦しいですが、葛藤に向き合うことが、人間的な深みだったり、成長につながります。
自分なりに考えたり、関連する本を読んだり、信頼できる人に相談してみるのもいいかもしれません。
私がモヤモヤを抱え、考え続けることも人生の糧になると感じた出来事があります。
高校ではバスケ部だったのですが、部員にすごく上手な子がいました。
その子は上手なので、あまり練習には参加しなくても試合では大活躍するタイプ。夏休みの練習に彼女があまり来ず、思うようにみんなでの練習ができなかったのもあって夏の試合はボロ負け。
試合後に彼女は「こんな弱い部活やめる!」と言い残し、退部していったのです。
私はその子のことが許せなかった。
彼女なりの理由もあったのだろうけど、気持ちの良くない言葉を言い残し去っていったこと。きちんと和解に至らないまま、退部してしまったこと。
学校で会って普通に喋ろうとしても、心のどこかに棘が刺さったまま抜けない感覚。体育のバスケなどでその子が活躍すると、言い表せない悔しさが心を支配しました。
許せないことって辛いですよね。許せたらスッキリして楽になるのに、許せないまま葛藤の渦に飲み込まれている。その状態が辛すぎて「早く許したい」と毎日思っていました。
ちょうどその頃に、イマキュレー・イリバギザの『生かされて。』(PHP研究所)という本を読んだんです。
これは、1994年にルワンダで起きた民族虐殺を生き延びた女性の手記です。親族を全員殺され、トイレに約100日間隠れて生き延びた体験がつづられていました。
そんな悲惨な状況のなかで、彼女は神に祈ることで自分を保ち、虐殺者たちを許した。許すことで自分も解放され、生きていくことができたという話でした。
この手記を読み、彼女は神の存在によって許しにたどり着けたけれど、神を持たない私はどうすれば人を許せるのだろう、と考えました。
考えた末に、「自分自身で葛藤を抱えながら、許しという行為をを引き受けるしかないのだ」という答えにたどり着きました。
私は神を持たないからこそ、葛藤という行為を自身で引き受け、自分自身で許しにたどり着き、その先の心の解放へと向かうしかないのだと。
私は手紙を書き、卒業式の日にその子に渡したんです。「お互い気まずかったけど、ここに気持ちが書いてあるから読んでね」と。
相手も葛藤があったらしく、それを機に1年半越しに和解できました。
もちろん、私のモヤモヤとルワンダの虐殺とでは、レベルがまったく異なります。
それでも、当時の私個人の小さな世界においては、生活がそれ一色になってしまうくらいすごく重要なテーマでした。葛藤から逃げずに考えることの苦しさ、そして大切さを身をもって実感した一件でした。
── 遠い国で起こった出来事を、自分とリンクさせる感性が素晴らしいなと思いました。多くの人は世界の現状(戦争や飢餓など)を自分ごと化しづらいかと。
通っていた学校では平和教育を大事にしていたこともあり、小学生の頃から戦争体験者の話を聞く機会が多かったことも影響しているかもしれません。
昨今の世界情勢をみると、戦争において地政学リスクや資源の有無による外交など「構造」の部分のみが語られがちです。
それももちろん大事なのですが、その構造のなかに一人ひとりの人間が生きていることを忘れてはいけないと思います。「破片で怪我すると痛い」とか「爆弾が降ってくると怖いよね」とか「友達が死んだら悲しい」など。
世界で起きていることに対して「自分だったらどうだろう?」という想像力と共感を持つことは、とても大事だと思っています。
「こうあるべき」の空気感、どう打開する?
── 日本では「こうあるべき」という空気感が強くあります。日本と海外の両方を見てきた長井さんからみていかがでしょう?
日本における「こうあるべき」、たとえば女性であれば「結婚するのが普通」「子どもを産むのが当たり前」という価値観があり、そのことから将来やキャリアに悩み、生きづらさを感じる人も多いのではないでしょうか。
このような価値観は日本だけでなく、私が長く滞在したインドやマラウイにも同じくありました。
国は違えど共通しているのは「家父長的な概念」であること。
たとえばインドでは、親が決めた相手とお見合い結婚しないといけなかったり、服装なども「女性はこうあるべき」という規範が強かったりする。そうした状況のなかで辛さを抱える女性にもたくさん出会ってきました。
子ども時代から成長していくにつれて、社会から「女性なら(男性なら)こうあるべき」と見られる機会が増える。
その度に、子どもの頃に漠然と持っていたような「何にでもなれる!」という感覚が、少しずつ削がれていってしまう方も多いのではないでしょうか。
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──「こうあるべき」に苦しんで進路が狭まっている場合、どう打開すると良いのでしょうか?
社会構造の問題でもあるので、学生や子どもがたった一人で立ち向かうのは本当に難しいです。たとえば、女の子は県外の大学に行くなと反対されたので本当に行きたい大学に行けなかった、という話などは日本でもよく聞く話です。
個人でできることとしては「自分の思っていること、やりたいこと」を周りに地道に提示することだと思います。
そうすると、周りに共感が生まれたり、サポートしてくれる人が見つかるかもしれない。
好きなこと、やりたいことをどんどん口に出していく。
もしかしたら反対されるかもしれないけれど、口に出さないよりは出した方が可能性が広がります。
周りの空気感に巻き取られてしまいそうになるとき、自分のなかに小さなプロテスト(抵抗)を持ってみてください。
一人じゃなく、誰かと繋がることで良い波が生まれて広がっていくかもしれません。
また、これは社会の構造をつくる大人に大きな責任があると思います。大人たちが、子どもたちが未来を描ける世の中を作るために構造を変える努力をしなければなりません。
── 進路やキャリアにおいて、「何かを極めなきゃ…」「何者かにならなきゃ…」という人も多いと思います。複数のキャリアをたどってきた長井さんはどう思われますか?
ここはアドバイスが難しい部分で、「一つに絞らなくてもいいよ」とも言えるし、「一つを極めるのも最高だよ!」とも言えます。
たとえば「職種にこだわりはないが年収1,000万稼ぎたい」という目標でも、それが自分の心が動くことなら素敵な目標だと私は思うんです。
大事なのは「自分の心が動くか」どうか。
私は世界の人々の文化や営みに興味があり、そこから文化人類学の道に進みました。でも、他にもいろんなことに興味があって、自分の心が動くいろんな方向に進んで行った結果、今ここに立っています。
日々何かしら動いていくなかで、ぼんやりと「自分の好きの方向性」が形作られていくと思います。本を読んだり、映画を観たり、さまざまな人との出会いのなかで、「自分の好きな方向性ってこうかも?」と思えてくる。
自分の心の動く先を敏感に見つめていると、いろんな入口はあれど根幹の進みたい方向には向かっていけるのだと思います。
進路に悩みすぎている人には「心配しすぎなくて大丈夫、人生楽しいよ」と言いたいですね。
自分とは「関係の結節点」である
── 多くの人が「自分らしさ」に悩んでいると思います。長井さんにとっての「自分らしさ」とは何でしょうか?
私は人生において「自分とは何か?」という問いを持ち続けてきました。
現在は「これまで出会ってきた様々な出会いや関係の『結節点』が自分という存在なのではないか」と考えています。
生まれ出た瞬間から確固たる「自分らしさ」があるわけではない。
人間は何と出会うか、何に触れるかで流動的に変わっていく存在です。
人でも物でも動物でも知識でも、すべての出会いが「自分」を形づくり、変化させてゆく。
学校の授業のなかにもたくさんの出会いが詰まっていると思います。
学生のうちからいろんな国に行ったりしなくても、日々の学びのなかに自分がワクワクするものや「もっと知りたい!」と思う出会いがあるはずです。
そんなふうにして出会った人や物事が集まってつながっている部分が「結節点」であり、「自分」という存在なのではないでしょうか。
また、自分のほとんど変わらない芯の部分、木の幹のような部分はみなさんそれぞれあると思います。大切にしたい価値観だったり倫理観だったり。
それ以外は「他者」と混じり合いながら流動的に変わっていくのが人間の面白みなのかなと思います。
新たな出会いによって、好きなもの・ことが増えたり、視野が広がったり、過去の自分とは少し変わったな、と感じる。
人間って面白いですね。

また、自分のほとんど変わらない芯の部分、木の幹のような部分はみなさんそれぞれあると思います。大切にしたい価値観だったり倫理観だったり。
それ以外は他者と混じり合いながら流動的に変わっていくのが人間の面白みなのかなと思います。
新たな他者との出会いによって、好きなもの・ことが増えたり、視野が広がったり、過去の自分とは少し変わったな、と感じる。
人間って面白いですね。
── 「自分らしさは流動的でいい」という考えは、気持ちがラクになりますね。
多くの人が「自分らしさ=確固たる自分があるもの」と思い過ぎている気がします。
自分探し、という言葉もよく聞きますが、心配しなくてもこれから訪れる出会いや関係性によって、自然と「自分」というものが立ち現れてくるのだと思います。
もちろん、自分の大事にしたい芯の部分である価値観や倫理観は大切にしてほしいです。
たくさん出会いのなかでその都度悩みながら、自分自身と他者に向き合っていくことでその芯の部分もより鮮明になっていくのではないでしょうか。
いわゆる「自分らしさ」が変わっていくのも人生の醍醐味です。
出会いを恐れずに、人生を楽しんでいってほしいです。
応援しています!
***
自分らしさに悩む人は多いですが、長井さんが語る「自分らしさ=出会い=結節点」「流動的でいい」という視点は、一つのヒントになるのではないでしょうか。
進路やキャリア、ひいては人生を考えるうえで、ぜひ参考にしてみてください。
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