本文へ移動

(2025年10月10日更新)

皆さん、こんにちは。アドボカシーグループのアンナ・シャルホロドウスカーです。私は以前ウクライナの学校で働いていたとき、教育に関するさまざまな分野で貴重な経験を積むことができました。専門は歴史でしたが、同時に子どもたちのためのイベントや課外活動の企画にも多く関わりました。そのなかで、障害のある子どもたちが通常学級で学ぶための支援を行う「教員補助」が私の主な仕事でした。

当時、学校における「教員補助」の役割は、私にとってだけでなく、ウクライナの学校教育全体にとっても新しいものでした。さまざまな困難もありましたが、非常に貴重な経験であり、ぜひ皆さんにその一端をご紹介したいと思います。

ウクライナにおけるインクルーシブ教育

写真:

当時、ウクライナでは、インクルーシブ教育は法律が整備されたばかりで、徐々に実践をしていくという段階でした。2017年に、障害のある子どもたちがすべての教育機関で教育を受ける完全な権利を保障する法律が制定され、通常学級で学ぶことを希望する子どもたちの保護者が少しずつ学校に働きかけるようになりました。

学校は教職員や設備が整っていなくても、特別な教育的ニーズのある子どもを受け入れ、インクルーシブ学級を開設する必要がありました。これは、学校にとって大きな挑戦でした。

当時は、明確な指針や専門的な訓練を受けた人材が不足していたため、特別なスキルがなくても教育経験のある人が教員補助として採用される状況にありました。私が採用されたのもその頃で、障害のある子どもたちが他の子どもたちと一緒に学ぶインクルーシブ学級で働き始めました。

特別な教育的ニーズのある子どもたちとの関わり

教員補助として働くなかで、私はまさに試行錯誤を重ねながら学んでいきました。明確なガイドラインや手順が不十分なため、さまざまな方法を試し、最も効果的な対応を探る日々でした。また、他の先生方と同様に、それぞれの子どもの具体的なニーズや障害の特性に応じて、標準カリキュラムを基に個別学習計画を作成。子どもたちの強みや可能性に焦点を当てることを大切にしていました。

約3年間で、重度の違いはあるものの、4人の知的障害のある子どもたちと関わりました。ときには支援が非常に難しく感じられることもあり、「本当に自分にうまくサポートできているのだろうか」という不安や迷いを抱えることもありました。また、より適切な設備の整った支援学級で専門家が指導するほうが、子どもたちの力をより引き出せるのではないかと考えることもよくありました。

一方で、知的障害のある子どもたちが学力を完全に習得することだけがインクルーシブ教育の目的ではない、という声もたびたび耳にしました。むしろ、その目的は、子どもたちが社会性を身につけたり、通常学級の環境に溶け込んだり、日常生活に必要なスキルを獲得したりする機会を得ることにあるという考え方です。

自身の経験から感じたインクルーシブ教育の可能性

写真:

インクルーシブ学級の子どもたちと(後列右が筆者)

教員補助として働くなかで、インクルーシブ教育は障害のある子どもだけでなく、すべての子どもたちにとって同じように重要であることに次第に気づきました。インクルーシブ教育に必要な環境を整えるのは難しく、課題も多いですが、幼いころから多様性を自らの経験として理解し、受け入れる力を育む貴重な機会を提供していると感じています。

また、実際に一緒に過ごすなかで、子どもたちには障害のある友だちに対する共感の気持ちを少しずつ育てている様子が見られました。そうした関わりが、クラスの一体感を高め、障害のある子どもたちが自分の個性を発揮できる場面も増えていったように思います。

当初、知的障害のある子どもたちは、まわりの子どもたちとの間に強い隔たりを感じているようで、コミュニケーションや情緒に影響しているようでした。しかし、グループ活動などへの参加が増え、少しずつ交流が生まれていきました。自分なりに貢献できる経験は、子どもたちの喜びや学習への意欲にもつながっているようでした。

そのような前向きな雰囲気のなかで、学習にも少しずつ積極的に取り組むようになり、知的障害による困難があっても、それぞれのペースで確実に成長していく様子が見られました。ときには、クラスメートが自然にサポートする場面もあり、温かな相互支援の関係が育まれていたように思います。

ウクライナにおけるインクルーシブ教育の課題

ウクライナのインクルーシブ教育はまだ発展途上にあり、現場には見直しや改善が求められる課題が残されています。たとえば、すべての子どもが十分な支援を受けながら安心して学べる環境や学習過程の組み立て方は、まだ明確ではありません。

ウクライナでは、障害のある子どもは通常学級に在籍しながらも、授業中はずっと教員補助と過ごすのが一般的です。しかし、私にはこのような実践には一定の問題点があるように思えました。同じ教室にいながらも、子どもが他の子どもたちと物理的・心理的に分けられてしまうことになり、それは「インクルージョン(包摂)」という考え方の本来の目的と矛盾するおそれがあるからです。

写真:

私自身の経験からも、常にそばに教員補助がいる学習形態は、子どもがクラスに溶け込みにくくなり、「自分は他の子と違う」という意識をかえって強めてしまうことがあり、気まずさや疎外感を抱かせる要因にもなっていると感じました。

そのため、状況に応じて支援の形を柔軟に組み合わせることが望ましいと感じます。子どものニーズや教室の環境に応じてサポート方法を工夫することで、より良い学びの形が実現できるのではないかと感じています。

質の高いインクルーシブ教育の実現は、依然として大きな課題ですが、少しずつでも世界各地でその取り組みが広がり、より良い形で実践されていくことを願っています。

さまざまな困難や曖昧さがあるなかでも、私が最も大切だと感じているのは、「障害の有無にかかわらず、子ども自身がどこで、どのように学びたいかを選べる可能性」を保障することです。

ある子にとっては、専門的な支援が受けられる特別支援学級のほうが安心して学べる場所かもしれませんし、別の子は通常学級のなかにこそ大きな可能性を感じ、そこで学びたいと願うかもしれません。

だからこそ、私たちは一人ひとりの子どもが自分の道を選び、その道を歩めるよう、できるかぎり平等な機会と環境を整えていくことが大切だと思います。

インクルージョンの意味とその大切さ

写真:

すべての人に教育への平等なアクセスを確保することは、SDGs(持続可能な開発目標)の一つであり、誰もが共に生きられるインクルーシブな社会を実現するためにも不可欠だと考えています。多様性を受け入れ、互いに尊重し合い、すべての人に平等な機会を保障するために必要な環境を整えること―そうした取り組みや支援は、あらゆる場面・分野において求められます。

これは、障害のある人だけに限られるものではありません。特性や状況、条件などによって不平等な立場に置かれてしまう人すべてに関わる問題であり、しばしば見えにくいものでもあります。

誰もが差別されることなく、安心して暮らせるインクルーシブな社会を実現するには、国際的な取り組みに加えて、私たち一人ひとりが理解を深め、行動することも重要です。多様性の大切さを認識し、すべての人に平等な機会を届けようとする努力を重ねることで、少しずつではありますが、誰もが生きやすく、支え合える環境が育まれていくのだと思います。

執筆者紹介

トップへ