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支援者インタビュー「ネパールの女の子の“親”になった」伊藤順子さん
お知らせ
女の子だから
(更新)
プラン・インターナショナルは、2019年の春から「遠い国の女の子の、私は親になりました。」というメッセージで新しいキャンペーンを展開しています。実際に「遠い国の女の子の親」でいらっしゃる支援者の方に、支援のきっかけや交流の醍醐味をうかがいました。今回はプラン支援歴24年の伊藤順子さんです。
支援者:伊藤順子さん
1995年、電車内の広告などをきっかけに夫の繁さんとともにプラン・スポンサーシップへの支援を開始。これまでに交流したチャイルド※は5人で、全員ネパールの子どもたち。うち最初の2人の女の子はすでにプランを卒業し、現在は同時に3人のチャイルドと交流中。
- ※「プラン・スポンサーシップ」でプランとともに活動し、村を代表してその成果を私たちに伝えてくれる子どもたち。
片足が不自由な女の子が、「家族」になった
プランの支援者になったきっかけを教えてください
伊藤さん:約25年前、プラン(当時はフォスター・プラン)のことは電車内や新聞の広告で知っており、胸にトゲが刺さったようにずっと気になっていました。夫との会話でも何度かあがっていました。そんなある日、夫が「支援を始める」と言い出したのです。支援するつもりで1年間、経済的なことなどを熟慮していたそうです。私はもちろん、大賛成。とはいえ、夫を応援するくらいの気軽な気持ちでした
ネパールのプラン活動地域の人々と伊藤さんご夫妻
最初にチャイルドのプロフィールを受け取ったときの印象は?
伊藤さん:1人目のチャイルドはシャンバティという女の子。1才半の写真が届いたのがすべての始まりでした。1人での写真とお父さんと2人での写真。じっと前を見つめる目がとても不安そうで、親子ともに痩せっぽちにみえました。遠くに知り合いができたという感覚でした。
何年かして、「シャンバティはポリオ(小児麻痺)の後遺症で片足が不自由です」という報告を受けたときのショックは今でも忘れられません。「この子は成人できるのかな」ととても不安に思いました。このときから彼女は家族になったのだと思います。ですが、訪問はなかなか実現しませんでした。
彼女に会いにネパールに行かれたいきさつは?
伊藤さん:2010年、京都の伏見稲荷大社に初詣に行きました。帰り道で目に留ったネパールの焼きそば(チョウメン)の屋台に立ち寄ったのですが、屋台のネパール人のご主人と日本人の奥さまからカトマンズや治安のことなどいろいろな話を聞き、最後にご夫婦から「一度ネパールへ行ってください、とても景色のいい国ですから」と勧められました。これがきっかけとなり私たちは訪問の準備に入りました。伏見稲荷大社からのお導きであったと思っています。
2歳当時のシャンバティ
初対面のチャイルドの印象は?
伊藤さん:カトマンズから1泊2日の強行スケジュールでビラトナガル空港に降り立ちました。ボロボロで倉庫のような手荷物受取所の出口に、写真で見ていたシャンバティとご両親、そして弟が見えました。その途端、なんだか訳の分からない渦のような感情が湧きあがり、言葉もしばらくはでませんでした。荷物を両手に下げた主人も同様で目から涙が流れています。「会えたんだ、とうとうシャンバティに会えたんだ」と感激しました。シャンバティのはにかんだ笑顔とナマステの言葉に、また胸が、目頭が、熱くなりました。
シャンバティとその家族と。街まで駆けつけてくれました
チャイルドそれぞれの個性と成長を見守る
チャイルドはどんな女の子たちでしょう?
伊藤さん:これまでのチャイルドのうち、3人が女の子です。現在25歳のシャンバティ、21歳のイスミタ(二人は卒業)、そして8歳のウシャです。シャンバティは笑顔が可愛くとても恥ずかしがりやな子でした。イスミタは気丈でスキンシップがとても上手な子です。ウシャはおしゃれが好きで目が大きく可愛い頭のよい子です。全員、私たちの子どもです。
ウシャの手紙。イラストのみから文字に、と成長がうかがえる
普段はチャイルドとどんな風に交流されていますか?
伊藤さん:全員年に数回手紙と小さなギフトを送り交流を重ねています。お手紙書きは主人任せ。私はギフト専門。いつも50gとの戦いです。できるだけ同じ文でなく学校や生活、将来のことなど質問をし、日本のことなどを話します。彼女たちからは、その質問への回答のほか、農作物が多くできたことなどが書かれた手紙が来ます。絵も来ます。年に1度届くチャイルドの写真は特に楽しみにしています。
ウシャの家族と
チャイルドの成長や交流の楽しさを感じる瞬間は?
伊藤さん:3人目の女の子、ウシャを訪問したときに、彼女の兄が1冊のノートを見せてくれました。そこにはびっしりと「SHIGERU ITOH, JUNKO ITOH」と私たちの名前が書かれていました。私たちが訪問すると聞いてウシャが毎日練習したと知り、うれしく思いました。
また、ちょうど私たちが4カ月前に送った手紙も到着していたのです。現地語に翻訳された手紙と私たちの写真もあり、チャイルド家族の喜ぶ姿を目の当たりに。「本当に届くんだ」とびっくりするやら、「いったい何人の人たちの手を経て来たのだろう」とありがたく思うやら、でした。
ウシャのノートと、伊藤さんからの手紙と写真
「親」になることで世界とつながる
プランの「遠い国の女の子の親になる」という広告のメッセージは、どのように響きましたか
伊藤さん:5人目のチャイルド、アリジ(2歳半・男の子)は2人目のチャイルドであるイスミタの息子ですが、彼らを訪問した際のことです。私たちが帰ろうと車にむかう途中、イスミタから急に「待って」と声がかかり、彼女はその場で突然地面にひざまずき夫の靴に両手を置いて、深々と数回頭をつけてお辞儀をしました。これは自分の夫や父親にする最高の尊敬の挨拶であることをその後知り、感動と興奮と「親と子」を感じました。私たちを日本の両親であると表現したものでした。
私は日本の家族と同じように、チャイルドは自分の子どもでありその両親も家族と思っています。チャイルドの家族も私たちを家族だと思っています。まさしくプランが言う「親」になることだと思います。そして、いつの間にか5人のチャイルドとその両親・きょうだい・親族・ご近所さんまで人の輪がふくらんできました。
イスミタ(左)とアリジ(右)
プランへの支援を考えている方へメッセージをお願いします
伊藤さん:先進国に住む私たちには考えられない、飢餓、貧困、戦争、差別、悪しき習慣、不衛生な環境で暮らす世界が存在します。プランの教育活動は家庭・学校ともによく普及し、就学率は高くなってきましたが、中途退学率が高く、就労先も少ない。まだまだ課題はあります。
そんな世界に住む人たちへ皆さんとともに支援活動して行きたいです。人に対する思いや支援活動は、将来必ず「人生の宝物」となって自分に帰ってきます。迷っている方には、夫がプランの職員さんから背中を押してもらったこの言葉を紹介します。「もし途中で継続できず辞退しても大丈夫ですよ。次の方が引き継いでくださいます」
インタビューを受ける伊藤さん
インタビューを終えて
「実は、シャンバティの後日談があるの」。インタビュー後のやりとりのなかで伊藤さんが教えてくれました。
足の不自由なシャンバティは、伊藤さんたちが訪問したのちにプランの支援で技術習得をし、自宅にてミシン刺繍の仕事を得て自立した生活を送ることができるようになったそう。
「夫を応援する程度の軽い気持ちで」支援を始め、今ではネパールに5人の子ども(うち1人は孫と言えるかも!?)までもつことになった伊藤さん。また、チャイルドだけでなくその周りにいる人々との縁も広がり、同時に地域の課題も冷静に見据えている姿に、「気軽に飛び込んだら、広い世界につながることができる」「支援とは気負わずにしてもいい」というメッセージを受け取りました。
あなたも遠い国の女の子の「親」になり、地域に変化をもたらしませんか。
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