(2024年08月01日更新)
皆さんは「ボートピープル」という言葉を知っていますか。世界には、差別や迫害、紛争や災害などの理由から故郷を離れざるを得ない人々が大勢います。なかでも、ボートで海を渡り他国を目指す移民、難民は「ボートピープル」と呼ばれます。船の転覆により大勢の人々が行方不明になったり命を落としたりする場合もあり、悲劇的なニュースを見聞きしたことがある方も多いのではないでしょうか。
この記事では、「ボートピープル」という言葉が生まれた理由や背景、移民・難民の人々が置かれている現状について解説します。

もくじ
ボートピープルとはどのような人々?
まず、ボートピープルとはどのような人々のことを指すのでしょう。またいつどこでこの言葉が生まれたのかについて説明します。
ボートピープルとは
ボートピープルとは、紛争や圧政などの下にある地域から海路で亡命した人々のことを指します。漁船やヨット、ボートなど簡素な小船に乗って海を渡ったことから「ボートピープル」と呼ばれます。近年は、アフリカ大陸の国々から地中海を渡ってヨーロッパを目指す例や、ミャンマーからロヒンギャの人々が海路で近隣諸国を目指す例が多く発生しています。
海賊や悪天候などの危険に加えて、船内は劣悪な環境で、脱水や飢えなどから他国に辿り着くことなく犠牲になってしまうことも少なくありません。遺体が海岸に打ち上げられたり、数カ月も漂流したり、という悲劇は世界各地で繰り返されています。その一方で、近くを通る貨物船や難民ボートの捜索救助活動などによって多くの人々が救助されています。
代表的なボートピープル
世界各地で海路での避難を余儀なくされる多くの難民のなかで、代表的な例がベトナムからのボートピープルです。ベトナム戦争が終結した後の1975年以降に多発しました。
インドシナ難民とボートピープルは同じ?
ボートピープルについて考えたときに、切り離すことができないのがインドシナ難民です。
インドシナ難民とは、ベトナム戦争終結の前後に、インドシナ半島にあるベトナム、ラオス、カンボジアの3カ国から脱出した人々のことをいいます。これらの国々は、1975年に相次いで社会主義体制に移行したため、新体制の政権下で迫害を恐れた多くの人々が国外へ流出しました。
このうち、陸路で隣国へ逃れた人々はランドピープルと呼ばれ、海路で出国した人々のなかでも特にベトナムからの難民はボートピープルと呼ばれました。
インドシナ難民の数は、約144万人にのぼり、そのうちの約130万人が難民キャンプなどを経て、第三国のアメリカ、カナダ、オーストラリア、日本などへ定住しました。日本にはこれまでに3500人以上のボートピープルを含む1万1000人超のインドシナ難民が定住しています。
ベトナムからのボートピープルが生まれた背景
なぜ多くの人々が、危険を冒してボートで脱出せざるを得なかったのか。ここではその背景を解説していきます。
1975年4月にベトナム戦争が終結
ベトナムは1975年4月のサイゴン陥落で戦争が終結しました。北ベトナム側の勝利によって、ベトナム共産党による社会主義体制が確立されました。アメリカの支援を受けていた南ベトナムでは、新しい体制下で国の将来に不安を抱いたり、迫害を恐れたりした多くの人が、ボートで国外へ亡命したのです。

ベトナムの家族たち(1971年)
ボートピープルの大半は東南アジア諸国に到着
これらのボートピープルの大半は、近隣の東南アジア諸国に到着し、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、香港などに亡命しました。なかには、南シナ海を漂流しているところを大型船舶に救助され、日本に到着したボートピープルもいました。
日本に到着したボートピープルは?
ボートピープルが日本に到着し始めたのは、1975年5月からです。漂流しているところを貨物船に救助されるなどして、日本の港に辿り着きました。その数は、当初の年間約100人規模から数年のうちに1000人を超える数に急増しました。
人々は一時滞在という形での入国が認められましたが、ボートピープルの定住受け入れを求める声が国内外から高まったことから、政府は1978年にベトナム難民の定住を認める方針を決定するに至りました。その後、ベトナム人に限らずラオスやカンボジア難民にも拡大され、ODP(Orderly Departure Program、合法出国計画)※と呼ばれる枠組みでの入国や難民条約への加盟(1981年)、定住促進センターの設置など日本でのインドシナ難民の受け入れ体制が整っていきました。
日本に逃れたボートピープルの子どもたちのなかには、日本で教育を受け、言葉の壁を乗り越えて定住した人々もいます。今では日本に来るベトナム人や外国人の支援を行っている人もいます。
- ※ ODP(Orderly Departure Program、合法出国計画)とは…ボートピープルの遭難や海賊による襲撃などによる悲劇や離散家族の再会など人道的観点から、国連難民弁務官事務所(UNHCR)とベトナム政府の協議によって作られた合法的出国の枠組み。
- 出典:国内における難民の受け入れ(外務省)
ボートピープルがおかれている現状
保護と安全を求めて海路で他国へ逃れたボートピープルの人々。海上で命を落とすことなく目的地に辿り着いたとしても、さまざまな困難に直面しています。一方で、受け入れ国に定着し第二の人生を歩んでいる人々もいます。
厳しい生活を強いられている
異国の地での生活は心身ともに過酷であり、今も厳しい生活を強いられている人もいます。ボートピープルとして他国へ逃れた難民たちの多くは、仕事や住む場所の手続きなど生きていく上で必要な基盤を整えることが難しい場合があります。子どもたちの教育機会や、若者や大人の雇用機会も限られています。
受入国に馴染めない
難民として受け入れられたとしても、その国の言語の壁や文化などに馴染めない人々も存在します。現地にうまく溶け込めず、周りに心から相談できる人もいないために、孤立してしまう例も見られます。

「第二の故郷」として受け入れ国に定住する
ボートピープルのなかには、仕事や財産だけでなく、戸籍までも剥奪されるという過酷な状況に追い込まれ、他国へ逃れざるを得なかった人々もいます。受け入れ国での新たな人生を歩もうと、言語や習慣を学び、長年にわたって多くの仕事をこなしながら順応し、定着した人も多くいます。
ボートピープルなどの世界の難民危機 長期的視点での取り組みが必要
今も世界のあらゆる場所で紛争が繰り返され、難民となる人々が後を断ちません。自然災害による脅威も多くの難民を生み、人道危機は増え続けています。プラン・インターナショナルは、緊急人道支援に加えて、長期的な自立への支援も行っています

紛争や混乱による代償は計り知れず、安定した基盤を作るには非常に長い時間と労力を必要とします。難民として逃れた人々が困難を乗り越えて自立し、新たな人生を切り開いていくことができるように、私たち一人ひとりができることを考え、行動を起こしてみませんか?
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国際NGOプラン・インターナショナルについて
国際NGOプラン・インターナショナルは、誰もが平等で公正な世界を実現するために、子どもや若者、さまざまなステークホルダーとともに世界80カ国以上で活動しています。子どもや女の子たちが直面している不平等を生む原因を明らかにし、その解決にむけ取り組んでいます。子どもたちが生まれてから大人になるまで寄り添い、自らの力で困難や逆境を乗り越えることができるよう支援します。










