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ジェンダー平等を目指して~すべての女性が声をあげて、立ちあがるために~

アドボカシーチーム
長島 美紀

日本

更新)

アドボカシーチームの長島美紀です。私が所属しているアドボカシーチームでは、女性が単に社会に進出するだけではなく、自分の意志で社会に積極的に関わり、キャリアアップを促進するために何が必要か、そして何が阻害しているのかを把握するための調査分析、そして啓発活動や政策提言を行っています。SDGsの目標にも掲げられているジェンダー平等を目指すのは、プランの活動国のみならず日本も同様です。

「女性たちよ、立ち上がれ!」

私が「女性の社会参加」という言葉に出会ったのは小学生のときです。壇上で突然こぶしを振り上げた、白髪交じりの女性の迫力に、私たち児童はびっくりしてぽかんと口を開けていました。

こぶしを振り上げたのは、当時日本女子大学で教鞭を取られていた一番ケ瀬康子先生。社会福祉学の専門家であり、女性の社会参加のあり方についても発言をされていた方です。附属小学校で年に一度開催される外部有識者の方による講演会でのできごとでした。
一番ケ瀬先生のお話を聞いていたのは小学校1年生から6年生までの女の子たち。私もそのひとりでしたが、なぜこの先生がこぶしを振り上げたのか、「立ち上がれ」と言ったのか、当時の私にはよく理解できませんでした。

写真:

国連の決議を受けて成立した男女雇用機会均等法

その後、私は共学の大学へ進学、そこで初めて「女だから」「女なのに」という言葉に直面して、ジェンダー課題を意識するようになりました。90年代後半、「セクシュアル・ハラスメント」という言葉がまだ一般的ではなかった時代です。学部の男女比は9対1、「君には(女だから)分かるまい」とまで言われ、悔しさから博士課程に進学するとき自分の研究のテーマにジェンダーを選択し、学内のジェンダー研究所にも出入りするようになりました。ある研究会の帰り道に、ふとそのときのことを思い出し、研究所の先生に話したのでした。

先生はしばらく黙ってから「その時代に、小学生の女の子たちにこぶしを振り上げた一番ケ瀬先生の気持ちを思うと涙が出そうね」とつぶやかれました。そのときになって初めて、一番ケ瀬先生がこぶしを振り上げた1980年代半ばは、男女雇用機会均等法が成立した時期だったことに気がついたのでした。男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念とする女性差別撤廃条約が、国連総会で採択されたのが1979年(発効は1981年)。日本は1985年に締結、その国内法として、男女雇用機会均等法が成立しました。ちなみに条約の締結を受けて家庭科が男女ともに必修科目になるなど、教育の現場でもこれまでの男女格差が改められています。

男女雇用機会均等法が成立し、性別を理由にした採用や就職、職務や配置、定年における差別が禁止されました。同法が成立するまでは、会社の就業規則の定年年齢に「男性は55歳、女性が50歳」と定められたり、「寿退社」に見られる若い女性の退職を推奨されたりすることも当たり前、25歳を過ぎた独身女性が「クリスマスケーキ」と揶揄されることは1990年代になっても続いていました。

男女雇用機会均等法がもたらした影響

男女雇用機会均等法は、就業における性差別を改めたという点で画期的な法律でした。「雇用の機会における女性の差別禁止」に限定した法律としての限界はあったものの、少なくとも「就職の場面における性別に基づく差別には合理性がない」と宣言したことは、これまでキャリア形成をあきらめざるを得なかった女性たちが一歩を踏み出し、自分の人生を切り開くひとつのきっかけとなったといえるでしょう。その後、女性の就業者数は増加することになります。

写真:出典:厚生労働省『平成30年版働く女性の実情』2頁

出典:厚生労働省『平成30年版働く女性の実情』2頁

男女雇用機会均等法が成立して35年あまり、日本の女性の社会活躍における環境は変化しました。女性が、結婚や出産、育児や介護を理由に仕事を続けることをあきらめざるを得ないという状況は変わりつつあります。1990年代半ばには共働き家庭が世帯数の過半数を超え、2018年の厚生労働省の資料では、労働人口総数に占める女性の割合は44.1%に達しています。すべての世代で配偶者のある女性の労働力率が上昇し、かつて日本の女性の就業で出産・育児世代の就業率が下がる特徴として言われていた「M字カーブ」は解消されつつあります。

写真:出典:厚生労働省『平成30年版働く女性の実情』2頁

出典:厚生労働省『平成30年版働く女性の実情』5頁

ジェンダー・ギャップ指数121位の日本

女性の就業がすすむ一方で、女性の管理職への昇進などリーダーシップに関わる分野では、世界的に見ても停滞傾向にあります。2019年12月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数2020」では、順位が153カ国中121位と過去最低でした。

ジェンダー・ギャップ指数の課題として、政治経済分野における男女格差が解消されていないこと、具体的には「政治の分野における議員や閣僚の女性の割合」や、「民間企業などにおける女性の管理職の割合」の低さがあげられています。また、一見すると男女平等がすすんでいる教育分野でも、よく見ると「大学院進学における女性の割合」や「理系分野に進学する女性の割合」が、各国と比較すると低いことが分かります。世界のトップクラスとされる大学における男女比がほぼ半数であることに比べると、日本の国公立、私立大学における女性の割合の低さは顕著であり、このことが将来の女性のキャリア形成にも影響を与えていることは想像に難くありません。

ロールモデルとワークライフバランスがカギに

日本FP協会による調査でも、働く女性の6割が「育休取得がキャリアアップに不利」と考え、7割以上が「周りには女性管理職が少ないと思う」と回答しています。プランが2019年に世界19カ国、およそ1万人の15~24歳の女の子たちを対象に行った、リーダー像に対する意識調査では、日本の女の子や若い女性は、ほかの国と比べて「自分がリーダーシップをとる」という意欲が低いこと、身近にお手本になるような女性のリーダーがいないことが分かりました。これらの調査結果は、女性のキャリアアップでは、ワークライフバランスとロールモデルがカギであることを示しています。

途上国における状況

一方、プランが活動している途上国では、女の子や女性が自分の意志で未来を選択できるよう、社会制度そのものを変える試みが行われています。特に、近年加速するデジタル技術やインターネットの急速な拡大は、女の子や若い女性に、自分の意見を世界にむかって表明する機会を提供しています。世界各地で、これまで「当たり前」と考えられてきたことに疑問を持ち、声をあげる女の子や女性は増えつつあります。
「ジェンダー」の視点を取り入れることが提唱され、その後の世界の取り組みの指針となった「第4回世界女性会議」が開催されたのが1995年。今年は25周年にあたります。プランはこの25年間の歩みを振り返る報告書「A New Era for Girls 女の子のための新時代:25年間の進歩をたどる」を発表しましたが、同報告書では、女の子と女性を取り巻く環境が改善した一方で、出生前からの男児選好によって「命の選別」を受けている国や地域、貧困地域や紛争地で暮らす彼女たちが暴力にさらされる危険や、高等教育やSTEM分野(科学・技術・工学・数学)でジェンダー格差が顕著であるなど、保健や教育、経済活動、政治への参画などの多方面において、今なお課題は多く残されていることが指摘されています。

そして、これらの課題は、日本にも同様に多く残されているのです。

オンラインでトレーニングを受講するエクアドルの女の子

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地域の感染症対策に取り組むマリの女の子

地域の感染症対策に取り組むマリの女の子

幼いころに聞いた一番ケ瀬先生の講演は、私にとって大きな意味を持ちました。大学院でジェンダーを専攻するなか、「先生の呼びかけに私たちは答えているだろうか」と繰り返し問いかけることは、同時に日本におけるジェンダー主流化の状況を考える視点を提供してくれています。

すべての女性が声をあげて、立ちあがるために。
一番ケ瀬先生の声に答える取り組みは、今も進行中です。

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